関ジャニ∞と私と親
私にとって関ジャニ∞とは
希望であり、生きがいであり、生きる意味。
そして関ジャニ∞に生かされているのだ。
同じeighterでも関ジャニ∞が自分にとってどういう存在なのかは違うし、応援スタイルも自分の中の順位も違うだろう。
私は自分の価値観を押し付けるつもりはない。
だから、口出ししてほしくない。
私は現在就職活動中だ。
(特に親が)納得いく結果を得られていないため続けている。
関ジャニ∞の台湾公演に当選したことを親に話した。
反対された。
私にとって父はトラウマそのものである。
私の中の価値観など知る由もない。自分の価値観で全てを語る。しかもそれはごくごく普通の、一般的と言われる理論で。
加えて、その理由を述べない。納得する理由を述べない。「常識的に考えてそう」「そう決まっている」これで押し通す。
父の言い方は強制力がある。高圧的だ。間違っている、異論があるなど言えない。
だが、私は言う。決めつけられるのが嫌いだから。それでも受け入れてもらったことはこれまでの人生の中で一度もない。
台湾公演、行きたかった。
昨年、友人と台湾に旅行に行った。
海外旅行に行きたいという話から始まり、近場の台湾に決定した。私はひっそり、来年関ジャニ∞は海外公演をやるだろうと予想していた。初海外公演はおそらく台湾は必ず行くだろう。下見がてらちょうどいい。そう考えていた。旅行に行った友人の中に元嵐ファンがいたので、台湾公演どこでやったのか聞いてみた。これで台湾公演も安心だ、そう思った。
大学に入り、第二ヶ国語は中国語を選択した。これも関ジャニ∞の中国圏進出を視野に入れて。
今年に入り、台湾公演が決定した。
お金が思ったより高く、就活もあり申し込みに悩んだ。
しかし、行くべきでない公演なら外れるだろうと思い、友人に申し込んでもらった。
当選した。
この時点で私の中にもやもやが生まれた。不安だった。だけど、それまでに何としてもすべてを完結させようと思った。
だけど、ダメだった。
いつぶりだろうと思うぐらい、過呼吸になるほど泣いた。しばらく泣いた。泣きに泣いた。
台湾に行けなくなったことに対してはもちろんだけど、一緒に行くはずの友人に申し訳ないという想いが強かった。本当に本当に。
きっと少しだけほっとした自分がいると思っていた。
お金を使わなくて済む、時間ができると。
でも違った。
それからの毎晩、お風呂や布団の中で悔しさがこみ上げてくる。
涙が止まらない。
ふと流れてくるHi&Highにまた泣ける。
泣いても泣いてもどうしようもない、分かっている。分かっているから悔しくて涙が出る。止まらない。
私はやっぱり関ジャニ∞だったんだと。
父に何度も「バカ」だと言われた。
自覚していても他人に、あの父に言われることに何とも言えない感情がこみ上げてくる。
私のことを「バカ」だと言う、同じように生きている人も間接的に言われている、申し訳ない、失礼極まりない。私のせいで、申し訳ない。
私にとっての関ジャニ∞を父や母に共感してもらえるはずがない。私は必死で関ジャニ∞を応援しているのだ。
台湾に行けなくなったことより、行くチャンスを無駄にしたことがやるせない。二度とないかもしれないチャンス。関ジャニ∞関連でもう二度と後悔したくないと思い、申し込んだのに。
他人の生き方や向き合い方なんてすべて納得することは不可能だと思う。分かったつもりで話すのも違う。だからって、理解しようとしないのは違う。十人十色だから。素晴らしい考え方の人生を押し付けるのも違う。だって私はその子じゃないから。私はその子と違うから。
同時に関ジャニ∞を好きになった理由ってそこにあったんだと思ったの。
関ジャニ∞、特に丸山、大倉、安田は他人の意見を最後まで聞く。そしてその考えを否定しない。それも一つの考えだと受け入れる。そのうえで、納得できる言葉を投げかける。それはたいてい一般的な考えだ。その人が生きやすいようにそうしている。最後はその人の考え方も素晴らしいと言ってくれる。なんて素敵なんだろう。私は今まで自分の意見や考えをちゃんと聞いてもらったことがない。最後まで聞いてと訴えても、聞いてくれない。まれに聞いてくれたとしても、真っ向から否定することが聞く前から決まっていたかのようだった。
今回だってそうだ。父が好きな野球観戦に例えた。
野球は毎試合違う。やっていることは同じでも違うことが起きる。それが面白い。コンサートと違うことは、野球はテレビ中継があるがコンサートはない。コンサートが見られるのは何公演もあるうちの一公演。しかもカットされているもの。だからコンサートにたくさん行くことに意味があり、行く価値があるのだ、と。
納得はしてくれたらしいが、台湾はダメだと。
意味が分からない。
何でと尋ねても帰ってくる答えに納得できるものはなかった。
女性がたくさん集まるところ、犯罪者がでるね、殺されるね、帰ってこれないね、と。
知らねぇよ。そうやって行く気をなくすつもりか?死んでもいい(嫌だけど)そのくらいの気持ちで関ジャニ∞応援してるんだよ。いつ終わるか分からない私の人生と関ジャニ∞の人生、今を見たいんだよ。今を生きることが大事なこと知らないのかな。私はいつだって楽しくいきたいよ。少しの楽しさを大事にしたいよ。その楽しさが関ジャニ∞初の海外公演だったんだよ。「初」を一緒に迎えることなんて数少ない。私が応援し始めたのは8周年頃。いろんな「初」をリアルタイムで見ることも感じることもできなかった。そのチャンスは今あるのだ。
贅沢かもしれない。そう、贅沢、欲深い、我慢しろと言われると思う。
でも、見れない人、行けない人、どうすることもできない人がいる中、私は恵まれている。あるチャンスを誰かに渡すわけでもなく、捨てるのだ。なんてもったいないのだろう。
私がもっと早く話していれば友人を巻き込まなくて済んだ。私が就職活動を終わらせていれば未来が違ったかもしれない。私に説得力や威圧感があったら折れていたかもしれない。分かってる。自分が招いた問題だということを。だけど、分かってよ、今の私から関ジャニ∞をとったら空っぽなの。関ジャニ∞の木にたくさんの実がなって私ができているの。気を抜いたら私は消える。
こうして文字に起こすことで少しはスッキリするのか、
少しは落ち着くのか、
分からない。
だけど吐き出したかった。
不特定多数の、もしかしたら似たような価値観を持ち、私の気持ちを理解してくれる人がいるかもしれない、同じような経験をした人やこれから経験する人がこれを見て自分だけじゃないことを感じてもらえたらうれしい。
そして、このような子どもを持つ親がこれを見て、理解をしてほしい。納得する説明を心がけてほしい。イライラしても話はちゃんと聞いてほしい。上から聞くのではなく、同じ目線に立ってほしい。あなたの態度で我が子を苦しめることになるよ。
一生後悔すると思う。毎晩じゃなくなっても、定期的に思い出すと思う。一生父(と母)と分かり合えないと痛感した日でした。